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【第77回】
日本に居たころ、ある中国人女性の言葉がきっかけで中国に興味を持ったという村上さん。現在は青島でポータルサイト「eチンタオ」http://www.e-Qingdao.com/ を中心とするオンラインショッピング事業を展開している。中国語がまったく話せないという村上さんだが、一体どのようにして青島で起業されたのか、いろいろとお話を伺った。
10数年前、日本でデータ入力のアルバイトを募集したところ、1人の中国人女性が応募してきました。彼女は日本の某国立大学院を卒業後、大手電機会社でシステム開発をしている才女でした。私が、「日本では有名な企業でないと、あなたのような有能な人材に出会える機会は多くない」と話すと、彼女は、『中国に行けば、日本よりも低い賃金で、より高い能力をもった人材をたくさん採用することができますよ』と言うのです。これは確かめる価値のある話だと、早速単身で上海へ行くことにしました。しかし、現地については右も左も分からない状況でしたから、発つ前に中国領事館を訪問したのです。そこで自分の展望を、多少話を膨らませながら語ったことがよかったのでしょうか、VIP待遇で上海の企業や街を案内して頂く機会に恵まれました。これをきっかけに中国人と共同で、ソフトウェア開発会社を上海に立ち上げたのが5年前のことです。
村上紳和さん |
日本の会社ではプログラマーの高齢化が進み、人材確保に苦慮していました。そこで、日本よりも安価かつハイレベルな人材を獲得できる中国に注目しました。有能なスタッフを、より効率よく得て、世界に通用するパッケージソフトの開発および販売をしようと考えたのです。
2008年3月に、大阪で行なわれた青島ソフトウェアパーク企業誘致説明会に参加し、興味を持ったのが始まりでした。1ヶ月後には初めて青島を訪れました。そのときは半分旅行気分でしたが、上海のような大都会にはない居心地の良さや、きれいな海、そしてソフトウェアパークの事務局員の親切さがとても印象的でした。
私が青島で独資起業を決めたポイントは次の3点です。1.給料が安いこと、2.事務所テナント料が安いこと、そして最大の理由は、3.日本語を話せる人が多いこと、です。これは青島ソフトウェアパークで行なわれている日本語教育の賜物ですね。
上海で起業した際のスタッフは、すべて復旦大学の卒業生でした。彼らが優秀なことに間違いはないのですが、プログラマーは日本語が話せず、通訳は専門用語に明るくありませんでした。その結果、私と社員間で意思の疎通がうまくいかない状況が発生してしまったのです。これが上海で失敗した原因の一つだと考えています。
全く中国語を話せない私が、全く縁のない場所で起業することは、様々なリスクを伴います。ですから、当初は事務所を設立するという形で、青島ソフトウェアパーク事務局と話を進めました。2008年8月からインターネットを使って、スタッフの募集を始めました。起業者である私自身が中国語を話せないため、世間に逆行して社内公用語は“日本語”での募集です。この条件をクリアし、かつMBAを取得している中国人女性に出会ったことが大きな転換点となりました。彼女の強い進言と事業計画書を得て、事務所ではなく会社を設立することにしたのです。
SoftwarePark |